ウクライナへ寄付しようとしたが金が惜しくなってやめた話

 夜勤明けに、ウクライナの大統領の短い演説をTwitterで見た。「私達はここにいる(逃げない)。我が国の独立を守る。ウクライナに栄光あれ!」と淡々と語る、芸人上がりと聞く大統領の勇姿。思わず涙が出た。戦争をきっかけに久々に見た世界地図。ロシアに比べてあまりにも小さいウクライナ。大国を相手に、たとえ勝算がなくとも戦おうとする様はまさに漫画の世界。そこへ、在日ウクライナ大使館が寄付を募っているという知らせ。思わず寄付したい(味方したい)と強く思ったのは、私が極東の小さな島国の住民であることも関係していると思う。

 しかし、ネットバンクを利用していない私は深夜に勢いで寄付できなかった。翌朝、一晩しっかり寝た私がTwitterで見たのは「日本のお金が(寄付へ)吸い込まれていく…」という嘆きのツイート。そのツイートにイイネがそこそこついていて、えっ⁉ってなった。今まで、怪しい団体へ寄付することに注意を促す意見は聞いたことがあったが、海外への寄付そのものを否定する人がこんなにたくさんいるのかと驚いた。赤の他人の金の使い道(それも寄付)によくケチつけられるなと反射的にドン引き。うざったい人達だなと思ったが、気になったのは「そのお金を国内で使って欲しい」という意見。「コロナ禍で苦しい思いをしている人が日本には大勢いる。飲食業や観光業、学校でマスク生活を強いられる子ども達。だから、海外ではなくまず国内へ目を向けて」と。一理あると思ったし、結局私は金が惜しくなって寄付もしなかった。なのにそういう意見を目にするとざわざわするのは、私が「日本国内のコロナ禍で困っている人達」に共感できないからだ。現在の子ども達が置かれている状況には同情するが、子ども達が辛い目に遭っているのに…!と騒ぐ大人のことは知らない。どうでもいい。感染予防のため休業・シフトを減らされる・リストラの憂き目に遭い生活が苦しいと聞くと、同情より先につい羨んでしまう。朝早くに職場に来いって言われずに自宅に居られていいなあ。休めていいなあ。働け働けって迫られなくていいなあ。

 ようするに私も余裕が無い。気持ちに余裕が無い時はSNSから離れるべきだと頭でわかっているのに、暇さえあれば開くTwitter。私も大概馬鹿だよなあと思っています。